2005年09月

ついに

夏休みの宿題で唯一だしてなくて、かつ出す気の無かった読書感想文がついさっきできあがりました。
三連休で出す気があるならかいてこいみたいなこと言われたので。
というわけでそぷたんに催促されたのでここでも披露ー


東野 圭吾著「変身」を読んで

 頭を銃で撃たれ脳を損傷した青年に、世界初の脳移植手術が施される。――私の読んだ東野圭吾著「変身」は、簡潔に述べればこのようなあらすじである。私は、この本の主題とも言える脳移植を通じて、人が人であるということについて深く考えさせられた。
 一個の人間を形成するものとは何だろうか。たとえば移植について考えてみる。臓器移植の場合、私が心臓や腎臓を移植されても、それらの臓器を実際に使うのは私である。よってその臓器のドナーがどこの誰であれ、移植が施された後も私が私であることには変化はないと言えるだろう。
 しかし脳移植の場合はどうだろうか。たとえば私が脳死し、ある他人の脳を丸々移植されたとする。その脳は元来その持ち主のものであったのだから、その人の記憶やその他色々なものを受け継いでいるはずだ。そうすると、その脳を移植された私はいったい何者になるだろう。以前の私が脳移植によって蘇生したのではなく、他人がそのまま私に引っ越してきたというほうが適切だろう。よって、その後の私は見た目上は私でも、私ではなくなる。
 以前に、死んだドナーから角膜の移植をうけるという話を読んだことがあるが、それは移植後に角膜の提供者が自分にだけ見えてしまうという奇妙なストーリーだった。角膜は意思や記憶を持っていないため、その話を非現実的にとらえた私は、単にホラー物として読み流してしまって、今こうして感想文を書くまで忘れていたぐらいだ。しかし、今回読んだこの「変身」は現実味を帯びていて、単にありえない話として読み流すことができなかった。この本の中で主人公は、損傷した右脳の一部を移植されただけにもかかわらず、その脳片の影響でだんだんと性格の変貌を遂げていく。これまでに人が脳移植をうけたという話は聞いたことがないが、もし今後脳移植が可能になれば、このようなことが起こるかもしれない。そうなったとき、先に述べたように、移植された人はいったい何者だということになる。脳を提供した人か、はたまた提供された人か。こういったことに明確な線引きがされない限り、技術的に可能になったとしても、安易に脳移植をすべきでないと思う。
 これまで私は、人間はその脳によって生み出される内面の部分があってこそだというような話を述べてきたが、外見も一個の人間を形成する重要な一部分であるとも考えている。私はよく、実際はそうではない(と自負している)にもかかわらず、新しくできた知り合いに「見た目が怖いから、もっと怖い人やと思ってた。」というようなことを言われる。私が怖い人だと思われるのは、人とはじめて出会ったときに最初に目に入るのが外見だからだと考えられるが、このことから、初対面の人に対して外見が大きく作用することは明確である。しかしながら、外見のみでその人がどういう人間であるかということが決まるわけではもちろんない。もし外見だけでどういう人間かが決まってしまうのであれば、一卵性双生児などはどうなるだろう。双子でもそれぞれの性格や考え方といった内面の部分は違うのに、先に述べた条件だけで判断すれば、二人とも同じ人間であるということになってしまう。これは明らかに矛盾している。
 そのほかにも、異性は外見さえよければ内面などどうでもいいなどという人がよくいるが、これは大きな間違いだと思う。これも先の双子の例をあげてみると、双子ならどちらでも同じだということになる。しかし外見さえよければいいと思っている人にそのことを言うと、「Aくん(さん)の方が性格がいいから、そっちのほうがいい。」などとおかしなことを言う。結局このことから、外見さえよければいいなどと言っている人も、多かれ少なかれ相手の内面を重視しているということがわかる。
 これまで私が述べてきたことをまとめると、一個の人間を形成しているのは内面と外見の双方であるといえる。そのどちらが欠けても、人間というものは成り立たない。自分とよく似た容姿をもっている人間がいたとしても、また自分と同じような性格の人が居たとしても、今の自分の容姿と性格の両方ともを併せ持つ人は、まず自分しか居ないだろう。ふとそういうことに気づいたとき、普段は気にも留めない「自分が自分であること」が、とても大切なことだと思えるのではないだろうか。

前回の続き

というかなんというか。
前回は物を忘れることが多いという話でしたが、今回はものを無くすことについて。
そろそろ期末テストが近づいてきたので、プリントとか教科書とか確認しようとしたんです。
そしたら、いくつか教科書とかプリントがどっかいったらしいことに気づきました。
ついさっきまで探してたんですが無いんです。一部のものについては在り処に心当たりはありますけど。
note.jpg
←というわけで、備忘録というかちょっとしたメモを作りました。
確認すべきこと・必要なもの・etc. 今日からどんどん書いていきます。

普段から整理してないのが悪いんですけど、あるはずのものが無かったりすると
無性に腹がたつんですよ。みなさんもそうじゃないですか?

それにしても、ちょうど使ってないノートがあってよかったです。
おしまい。

あーあ

今日久しぶりにブログかこうとおもってたのに、書くネタがついさっき頭からとんでいきました
だから何もかけません。
okashi.jpg←とりあえず今日買ったおかしの一部でも載せときますね。
(サクマ式ドロップスと、MINTIAモーニングエアー)

で、今書きながら必死で思い出そうとしてるんですがまだ思い出せません。


あ、思い出した。思いだしたけど…

では発表します!私が書きたかったのは…


最近物忘れがはげしい!!ってこと。
ほんとにやばいんですよ。っていうか今すでに証明してますもんね。書くネタ忘れてるってこと自体で。
ネタ忘れたってのは嘘じゃないですよ、だから今書きながら自分の物忘れの度合いに驚いてます。

とりあえずね、はじめに忘れたのは、あんまなかよくなかった中学の友達の名前。あせりましたよ。
ほんで卒業アルバムみて確認してたら、こんどはこれまたあんまり話したことの無い先生の名前が
頭から消え去ってました。
そのほかにも生物の授業で質問したかったことを忘れたりとか。でも持ち物とかは忘れないんですよね。

っていうか何かきたいのかわからんくなったのでこれでおしまい。

題名つけるほどのもんでもなく

しばらくぶりです。
1週間ほど書いてなかったように思いますが、その間もきっちりと登校しておりましたのでご心配なく…
(誰も心配してない、とかなしね。)
さて、いつだったかに文化祭のことをつらつら(ぶつぶつ?)といろんなことを書いた気がしますが、
今日はその続きとか、いろいろです。

これもいつだったか忘れましたが、久しぶりに登校した日のことです。
文化祭の準備に参加してなかった私を、意図的に休んでいたと知らなかったとはいえ嫌な顔ひとつせず
快く受け入れてくれたクラスのみんなにちょっと感動して、最近は積極的に準備しております。
といっても、やはり出し物の構成等々、細部に関しては思うところもあるのですが…
実は、中学校時代私もそういったまとめ役?というかそういう感じのものをやっていたころがありまして、
それがいくら正しいことであっても、やっぱり自分の考えたことに注文をつけられると、むかっときたりして
いい気がしなかった記憶があるのです。
私の思ってることは、先にも言いましたが致命傷になるわけでもない細部に関することなので、
あえて文句をつけることもないかな、とおもって黙ってます。
そんなことでまた喧嘩でもしたら嫌ですしね。

さて、明日のちょうど私が学校に行くころに、台風が京都に接近しそうです。
今私は窓際でPCいじってるわけですが、結構きつい風が吹いてて、台風近づいてきてる感がします。
7時現在に暴風警報が発令されていれば、とりあえず3時間目までは授業がないわけでして…
最近は4時間(午前中)授業プラス午後から文化祭準備なので、最短でも3時間目までつぶれてくれれば
ずいぶん楽になるわけです。
というわけで、明日は台風の接近を熱望いたします!

今日は以上です。おやすみなさい。
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